下痢なのにトイレの水がない。蚊と蠅との共同生活はアフリカの洗礼?!【1】


今回は7/25~7/28の任地訪問調査について(小説風に)記載していく。

1日目(7/25)
同期隊員は早朝から任地訪問へ出発。早い隊員だと朝の5時過ぎには隊員寮を出てシャパ(バス)乗り場へ向かい3、4時間かけて任地へ旅立っていった。もとまさは18時発の飛行機まで暇を持て余している。

「とりあえず、もう少し寝ようか。」

久々にゆっくりできる朝に幸せを感じながら、少しチクチクする毛布に包まり寝ようとしている。朝10時に服の仕立て屋さんへ行く予定だがもう少し寝る時間はありそうだ。つい先日までは、朝6時半にホームステイ先を出て、17時頃までポルトガル語の勉強、その後ホームステイファミリーとの生活が続いており、休日はボランティア隊員の先輩や途上国で働いる日本人と交流を深めようと意気込んでいたためかなかなかゆっくりとした時間を過ごすことができていなかった。

寝ているのか起きているのかわからない、夢と現実のはざまを彷徨っている幸せな時間が流れる。そんな時間も束の間…

「ピリリリリリ…」

携帯電話のアラームが鳴り響く。いつの間にかもう9時30分になったようだ。先日購入した伝統生地のカプラナを洋服へ仕立てるべくもそもそとベッドから這い出る。モザンビークの7月は日本の初夏のような、春のような比較的過ごしやすい気候が続く。

ホームステイ先の用意してくれる朝ごはんを食べようとリビングへ行く途中、ホームステイマザーが近所のおばちゃんと会話している声が聞こえる。朝食はいつも同じ少し硬めのパンとマーガリン、そしてチーズが用意されている。モザンビークでは高級品のコーヒーも用意してくれるこのホームステイ先は、いわゆる裕福な家庭であることは間違いないのだろう。途上国で3食提供されていることに感謝しなければならないことは重々承知した上で、日本食が恋しくなってきたというのが本音である。

朝10時を過ぎ、そろそろ予定していた仕立て屋さんへ向かおうと準備を進める。お世辞にも綺麗とは言えない水洗便所で用を足す。一度水を流すと次の人が使えるまで10分はインターバルが必要な水洗機能と、蛇口を捻れば5秒ほど流れる茶色い水に何も感じなくなってきた「慣れ」は人間の生きる力であろう。アフリカタイムの10時に仕立て屋さんへ行き顔見知りになった60歳ぐらいの気の良いおじさんに挨拶をする。アフリカ人にしては落ち着いた雰囲気だが笑顔とお喋りは日本の頑固おやじとは異なり軽快だ。

「おはよう。調子はどうだい?」ミシン台に置いた手を止めて聞いてくれる。

「悪くないよ。そっちは?」拙いポルトガル語で慣れた挨拶の返事をして続ける。

「今日は14枚もカプラナを持ってきたからズボンを4本ぐらいと後はシャツとかトゥニックなんかを作りたいんだけど…」鞄からBaixaと呼ばれる下町で買ったカプラナを取り出し手渡す。気の良いおじさんは慣れた手つきでカプラナを数え、模様を確認している。見終わったかどうかというタイミングですぐさま提案をしてくれる。

「よし。このカプラナは何にしたい?ズボンが4本だっけ? これはトゥニックがいいんじゃないか?」一つ一つのカプラナの模様ともとまさの要望を聞きながらどう仕立てていくかを決めていく。

30分ほどしてようやく14枚のカプラナの行く末が決まった。5本のズボン、4枚のトゥニック、4枚のシャツ、1枚のテーブルクロス、そして残った生地で帽子と小銭入れを仕立ててくれることになった。全部で7300MT(メティカイス)という現地では高額なお金を支払ってホームステイ先へまた戻る。

「今日のお昼ご飯はなんだろう?」そんなことを考えながら裸足でサッカーボールを蹴る少年のすぐ傍を通り抜ける。毎日同じ場所で、同じ子供たちがサッカーボールで遊んでいる。1人、2人は自転車を持っているようで前輪を浮かせて後輪だけで走る遊びをするのが最近の流行りのようだ。

ほんの1時間ほどの外出だが家に着いて先ほどまで寝ていたベッドに横になる。

「はぁ。疲れた。」

独り言が狭い部屋の中に消えていった。ホームステイ先を出るまでまだ5時間はありそうだ。3泊4日の任地訪問調査の準備を何もしていないもとまさだがまだ余裕で携帯電話のネットサーフィンをしている。これから始まるアフリカの洗礼など微塵も感じることなく呑気にベッドの上で寝そべっている。不安より期待を大きく抱いているこの能天気さはきっとこれからも変わらないのだろう。

夕方16時過ぎに家を出てタクシーで空港まで向かう。陽気なタクシーの運転手は先ほど予約していた16時に迷子で遅れたことなど気にしていないようだ。ホームステイ先からほど近い空港は10分もすれば見えてくる。

「友達の紹介だろ?500MTにまけといてやるよ。」

電話予約したため友達の紹介と察したらしい。ただ500MTというのが高いのか安いのかわからない。日本円で言うところの800円というタクシー代は日本の物価とさほど変わらない気もするが、これがぼったくられているのか割引されているのか判断がつかないもとまさは言われた通りに支払うことしかできなかった。なんとか空港まで辿り着き、一安心したのも束の間あることを思い出す。派遣前に福島県にある二本松市でモザンビークについて学んだ時、「警察には賄賂を請求され、空港職員は乗客の荷物を漁り、一般客には刃物を突き付けられる」と言っていたことを思い出しまた気を引き締める。

空港職員がカウンターに2人。どちらも忙しそうに対応中のため静かに列の先頭で待機してみる。右側の男女2人組はまだ若そうな30代の黒人だが男の様子は若干おかしい。ふらふらっとこちらへ来て私のスーツケースを持とうとする。何事かと思い男の顔を見ると

「俺が持つのを手伝ってやるよ。」と言いながら手を伸ばしてくる。

「いえ、結構です!」

若干食い気味で強めに答える。ここで素直に曖昧な返答をする日本人をすれば「俺が運んでやったんだから金を払え。」などと騒動に巻き込まれることは火を見るよりも明らかだ。そうこうしていると左側のカウンターが空き、やる気のないお姉さんが次の客を待っているような、気にしていないような、とりあえず無表情で席に座っている。

「こんにちは。」と言って飛行機の日程表とディレと呼ばれるモザンビークでの身分証明書を見せる。やる気は変わらないが仕事はしてくれるようだ。パソコンへ向かって情報の確認を始めた。そのお姉さんの後ろに荷物担当の男性がやってきた。ひょろ長い黒人のお兄さんが持って来たスーツケースを荷物台に乗せるように目配せをしてくる。

7年前に初めての海外旅行、ロンドン独り旅をする時に買ったえんじ色のスーツケースはそれほど大きくはないが、カナダ留学もヨーロッパ旅行も一緒にした大事な相棒だ。丁寧に荷物台に乗せてやり手を離す。今回の重量制限は20kgだが、荷物台のパネルは無情にも22kgという数字を示している。やる気のないお姉さんが「20kgまでだよ。」と消え入る声で制限オーバーを告げた。

思ったよりも荷物を詰め込み過ぎたようだ。もとまさはすぐさま2kg分取り出し手荷物へ移し替えようとスーツケースを荷物台から降ろしたところで「そのまま置いてろ」と言わんばかりのジェスチャーをするお姉さん。

「君は友達でしょ?違うの?私の友達だよね?」と突然口を開くお姉さん。

一切状況が掴めないままスーツケースを荷物台へ置いて様子を伺う。

「友達だから飲み物くれるよね?飲み物は?くれないの?友達じゃないの?」と言いながら作業をどんどん進めていく。もしかして賄賂か…?といまいち状況を理解できないでいると少し重量を越えているスーツケースが奥の方へベルトコンベアーで運ばれていった。コーラ1本で荷物台をチャラにしてくれるなら安いもんだと思い周りを見渡すが自販機1つもないマプト空港はがらんとしている。
「友達だよね?」と続けていたお姉さんだが、航空券とディレを愛想なくカウンターに置いて作業が終了したことを示す。完全に状況を理解できていないが超過料金を支払わずに航空券を手に入れてしまったのはお姉さんの意気な計らいなのか、気分だったのかわからない。これはアフリカのノリということで有難く頂戴しようと足早にカウンターを去り、少し大きめのリュックとスーツ用の鞄を持って手荷物検査場へ歩いていく。日本のようなお土産屋さんはなく、大きな扉の先に手荷物検査の担当者が6、7人ほどお喋りをしながら乗客を待っている。

「さて、次の関門だ」

心の中で小さな深呼吸をして手荷物検査場へ近づいていく。

大きめのリュックにはパソコンと携帯充電器、コンタクトレンズや3日分の着替え、そしてポルトガル語のテキストと電子辞書が詰め込まれている。特にこちらを見向きもしない担当者の前に着き、慣れた手つきでリュックからパソコンを取りだしX線検査の機械へと乗せる。腹巻型のパスポート入れやポケットに入れた捨て金、携帯電話、Wi-Fiルーター、そしてベルトを外してもとまさ自身も検査を受ける。特に問題なく通過したところで

「ディレを見せろ」

と30歳ぐらいの細い黒人のお兄さんに声をかけられる。続いて「そのリュックの中身も確認する。」と少し怖い顔で指示をしてくる。とりあえずディレを渡し、担当者がディレを確認している間に捨て金や携帯電話をポケットに詰め込む。

「日本の外交官…」そう呟く黒人のお兄さんはディレと呼ばれる身分証明書を見てもとまさが何者か理解したようだ。続いてリュックの中身を確認するのかと思いきや同僚の女性がいる方へ去っていく。荷物を漁られ賄賂を請求されるのではないかと疑心暗鬼になっているとそのお兄さんが戻ってきた。

「そう言えば左手に指輪をしていないが、結婚はしていないのか?」

「ん?指輪?!結婚?!」

自分自身のポルトガル語に100%自信を持てないまま返答を試みる。

「いや、してないけど…?」

「そしたら、そこに座っている彼女にアドレスだけでも渡したらいいじゃないか。」

「え…?」突然の展開に思考のスイッチを切り替えることが間に合っていない。お姉さんは笑顔でこちらに目配せをしてくる。

「子供が2人いるけど問題ないだろ?ほら。何も悪い事ないんだから連絡先ぐらい渡しなよ。何かダメなことはあるのかい?」空港職員のお兄さんは業務中であることなど関係がないように追い打ちをかける。これも二本松の派遣前訓練で言われていたことだが、「お付き合いや結婚の申し出が頻繁にある」というのはこのことかと身をもって体験することとなった。

このまま相手のペースに巻き込まれては事態が大事になると思い早めの段階で手を打つ。「はは。結構です。日本では問題なんですよ。」

満面の笑みとともに興味がないことを言葉に込め、まとめたリュックを連れて颯爽とその場を立ち去った。少しドキドキしたが何とか無事に飛行機に乗るまでの関門は全てクリアした。小さな波乱はあったものの、思ったよりも順調に全ての準備が整ったため搭乗まで1時間以上の余裕がありそうだ。待合室にはまだ2人しかおらず、電光掲示板と飛行機の搭乗カウンター、外の景色が見える場所を選んで先ほどまとめたリュックを降ろす。携帯電話で空港のWi-Fiを探すが案の定見つからず、やむを得ず持ってきたポケットWi-Fiを利用する。

その後、「アフリカ」とは思えない程日程表通りに搭乗、離陸が行われ2時間の空の旅では隊員用の寮から持ってきたアフリカビジネスの本を読みながら過ごした。搭乗前にマプト空港でお迎えの電話を配属先のドトール・オノフリにすれば良かったと考えたりもしたが、空の上ではもはやなすすべは無かった。

首都のマプトを出て2時間後の19時50分にモザンビーク中部のザンベジア州の州都であるケリマネへ到着した。ケリマネ空港は首都のマプト空港よりも小さな空港だが、ギリシャのサントリーニ島を観光したときよりは大きく、「アフリカ」と気負っていた分どこか拍子抜けしたような感覚に陥った。プロペラ機から降りて空港の建物まで徒歩で移動している時は洋風の綺麗な建物だと思っていたが、中に入ってみると狭い荷物受取所に今にも壊れそうなベルトコンベアーが置いているだけの建物であることがわかった。先に降りた乗客が部屋の入り口付近でぎゅうぎゅうになって荷物を待っている。急いでいないもとまさは入り口付近の人込みを押しのけなんとか奥の席へ腰をかける。

ドトール・オノフリへ電話をしなければと思いながらも体が動かない。会ったら何を話そう?ポルトガル語は通じるのだろうか?嫌な人だったらどうしよう?今晩泊まるところは綺麗な場所かな?空港からどれぐらいの距離なんだろう?などと疲れた頭でぼーっと考えていた。

しばらくすると最初の荷物が流れてきた。先ほどまで座ってお喋りをしていた空港職員と思しき2人組が同時に立ち上がりベルトコンベアーの監視を始める。係員の目の前を通った荷物は直線系のコンベアーから円形のコンベアーへと繋がっており乗客の元へ運ばれる。しかし、このコンベアー同士の繋がりが悪くなかなか係員側のコンベアーから乗客側へ流れてこない。しかし、それは異常事態ではないのであろう。係員が運ばれてきた荷物を一瞬確認したが、特に何もしない。見て見ぬふりというよりは関心が無いようにしか思えない。きっとこれは日常の光景であり、1人の日本人が感じる違和感や驚きと言うものは彼らの感覚には無いのであろう。コンベアー同士の間で立ち往生していた荷物が後ろから流れてきた荷物に押し出される形で、ようやく乗客側へ運ばれる。そして今流れてきた荷物は再び後ろの荷物に押し出されるまで係員側で止まったままのようだ。途中、コンベアーから落ちそうになる荷物を係員が修正しているのを見てようやく仕事をしているのだと確信することができた。比較的早い段階でえんじ色の相棒がやってきた。係員の隣まで歩き円形のコンベアーへ落とされる前に受取り再び人込みをかき分けて荷物受取所を後にした。

周りを見渡すが、会ったこともないドトール・オノフリが誰かなどわかりそうもない。荷物受取所の出口から少し離れたところへ移動し電話をかける。

コール音が5、6回鳴った後に「はい。」と短く低い声がした。

「あ。もとまさと申します。空港に到着しました。どこにいますか?」少し緊張しつつも、なるべくはっきりとした声で話そうと努める。

「あぁ。家だ。今から向かう。」

想定内ではあるが、(19時50分に空港に到着すると言ったよ!)と心の中でツッコむ。
「あ。わかりました。何時ごろになりますか?」

と、2、3やり取りをして迎えに来るまで15分程度待機することとなった。

20時半を指そうかという頃に

「プルルルル…プルルルル…」とJICAから支給された旧式の携帯電話が無機質な機械音を奏でる。日本ではもう絶滅危惧種に指定されているタイプの携帯電話で、メールと電話以外に使うことはできないようだ。yahooやgoogleを見ることも、カメラで写真を撮ることも、ましてや携帯電話で株をすることなんて到底叶いそうにもない。小さなディスプレイに「ドトール・オノフリ」の名前が示されていることを確認して電話に出る。

「はい。もとまさです。到着しましたか?」

「あぁ。到着した。」

「どこですか?」

「入口だ。」

短いやり取りのためなんとかポルトガル語でのコミュニケーションも取れているように感じる。ドキドキしながらもあまり待たせないように、大きめのリュックを背負い、えんじ色のスーツケースを転がし、入口へ向かう。

ガタイの良いスキンヘッドの黒人男性がこちらに近づいてくる。「まさか…?」とは思ったが「ドトール・オノフリさんですか?」と自信なさげに尋ねる。

「あぁ。」と、小さな声で返事があった。

一瞬、タクシーの運転手が乗客を確保するために嘘をついているのでは?とか、違う人だけどポルトガル語がうまく通じなくて適当に相槌を打っているのでは?と疑心暗鬼になり再度「ドトール・オノフリさんですよね?」と確認をする。

「あぁ。そうだ。」ガタイの良いスキンヘッドの黒人男性がまた、小さな声で答える。

(うん。多分この人だ…。)一抹の不安を持ちながらも握手をして車まで案内してもらう。案内された車の中には2~5歳の子供が3人ほど乗っており楽しそうに遊んでいる。ドトール・オノフリと思しき人へ向けられた子供たちの笑顔を見てとりあえず誘拐犯ではないことを確認する。その後、簡単な自己紹介や配属先についての話をしながら助手席で時間を過ごした。

結局空港に到着してから1時間半ほど経ったところでようやく、宿泊する教員用の寮とやらに到着した。空港から教員用の寮まではそれほど時間のかかる距離ではないはずだった。しかし、車を運転していたドトール・オノフリだったが、何度も途中で車を停めては誰かに電話をかけ、「今日から4日ほど泊まるんだが…」「今から行くので…」「部屋は空いているか?」と何やらこそこそ話しているようであった。偶然1部屋の空きがあったようで救われたが、もしなかったらこの時間からどうしていたのだろう?と考えてしまう。

部屋に案内され、簡単な説明を受ける。「この部屋どうだい?」一見すると小奇麗な部屋。大きめのベッドに毛布と2つの枕、小さな椅子とテーブルが1つずつある。簡素な作りだが3泊する分には申し分ないだろう。「いいね!気に入ったよ!」満面の笑みで答える。

続いて風呂場とトイレの説明を受ける。

「こっちがトイレとシャワー室。好きな時に使っていいからね!」

お世辞にも日本では綺麗と呼べないトイレだが想像を絶するほどではなかった。(アフリカだし、シャワーが使えるだけでも良しとしよう。)そんな心の声を聞いて、

「ありがとう。助かるよ。」と作った笑顔で応える。

その後そそくさと帰ったドトール・オノフリを見送りさっそくシャワーで体を流そうとトイレ兼シャワー室へ向かう。日本でもお風呂やシャワー室とトイレが一体型になっているタイプは1人暮らし用のアパートを中心に一定の地位を確立しているが、それとは似ても似つかない代物が待ち構えている。なにせ、シャワーを浴びる場所とトイレの便器との間に仕切りが一切ないのである。そして、大量の水垢と小蠅に汚染されたシャワー…。シャワーから水が出た瞬間、トイレも一緒に水浸しになることは小学生でもわかるであろう。しかし、背に腹は代えられない。トイレ諸共水浸しになることを覚悟の上で蛇口を捻る。モザンビークでは「お湯のシャワー」にお目にかかれることは「稀」とは言わないが、当たり前ではない。なので、「水のシャワーかな?」と少し覚悟をしていたところ、何も起こらない。そう。お湯どころか水も出なかったのである。

「好きな時に使っていいからね。」

という言葉を思い出し、少しガッカリする。(使えないなら、はじめからそう言ってくれよ…。)口から出そうになる独り言を飲み込み、辺りを見渡す。トイレと洗面所があることに気付き、嫌な予感がする。(まさか…)洗面所の蛇口を捻ると案の定水が出ない。そしてトイレの水を流そうと視線をトイレ側に移した瞬間、水を流すはずの取っ手の部分すらないことに気付き、ようやく全てを諦めたもとまさであった。

夕方頃までゆっくりしていた筈だが、緊張もあってかかなり体が疲れていることを、ベッドで横になり感じる。もう今日は寝よう。諦めも肝心ということで明日からの「水なし生活」は考えずに寝ることにした。「3日ぐらい、どうにかなるさ。」そんなことを思いながら眠りについた。

 

第1章終了において

ついに1日目が終了しました。小説風に書いてみようと妙な試みをしたところいつまでも書き続けていられるぐらい長々となってしまいました(笑) そして、時間がかかる…。とは言え、始めてしまったものはしょうがないということで2日目以降も「小説風」で続けたいと思っています。何度も心が折れながら書いていますので、少し時間がかかるかもしれないですが、良ければ読んでいってください。「いいね!」や「コメント」「シェア」なんでもアクションがあればブログ更新の助けになりますので、ご支援の程宜しくお願いします。


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