35日目(8/6)休日
前日の歓迎会後、隊員寮にて宿泊。午前中は有志で明日のプレゼンへ向けて練習会を行いました。午後も同様にホームステイ先で明日の準備。ホームステイマザーに最後にプレゼンを見てもらおうと思っていたけど、気が付いたら先に寝てしまったみたいで披露することができず少し残念。二本松訓練所での70日間とモザンビークでの30日間の勉強の成果を明日、披露してきます!!
36日目(8/7)最終プレゼン、壮行会
朝8:30から予定通りapresentação finalが開始されました。持ち時間15分+質疑応答5分というプログラムで構成されており、内容は「自己紹介」です。日本の家族や生活、仕事、二本松訓練所での活動に加え、モザンビークでの授業やホームステイファミリー、チューターと今後の活動について発表しました。Anabela先生の注文通り、接続法をプレゼンに取り入れ、カンニングペーパーなしで臨みました。最後のまとめの部分は何を言っているかわからない状態に陥りましたが、なんとか無事に終えることができました。Anabelaクラスはモザンビークで3回目のプレゼンということもあり、1か月前よりも格段に良い状態で終わることができたのではないかと思います。
夜は調整員の方の企画で壮行会をしていただきました。行きつけのタイ料理屋のようで慣れた様子で注文をしていました。モザンビークの首都にはそれなりにレストランがあるようです。タイ料理、日本食、ポルトガル料理、中華、ピザ屋…贅沢をしに来ているわけではないですが、食は大事ですからね。あと2日。首都を楽しみます。
37日目(8/8)語学訓練(全体授業)、オリエンテーション
午前中は最後の全体授業がありました。前日のプレゼンの感想をそれぞれ述べ、16日間の語学訓練のまとめとしてAnabela講師よりそれぞれの隊員にコメントがありました。要約すると
「最初から授業は理解できていたし、文法の理解も問題ないと思います。細かい間違いはまだまだあるけど、最初から何かしらは話せていたし授業中もきちんと発言していました。任地訪問調査の後から少し様子が変わったように感じるのでそこだけが少し心配だったけど、最後のプレゼンも流暢に発表できていて、良かったと思います。ポルトガルの試験を受けるって言ってたからこれからも勉強は欠かさないようにして下さい。お疲れ様。」
という内容でした。他の隊員は少しきつい事を言われたりもあったようですが、もとまさは無事に終えたようです。ただ、「やっとスタート地点に立ったにすぎない。」ということを強く意識する今日この頃です。去年の5月に応募書類提出。1次試験通過後7月に2次試験。協力隊員として内定後、カナダ留学をしながら訓練前の課題提出。そして二本松訓練所での70日間の派遣前訓練。モザンビークへ来て30日間の語学訓練兼オリエンテーションをやっと終えました。申込をしてから1年以上経過し、やっと本格的にケリマネ医療従事者養成学校で講師としての活動が始まるようです。感慨深くなりたいところですが、ここから新たなスタートを切るために、気合を入れて次の一歩を進めていきます。残り1日のマプト生活で体力、気力ともにチャージしていきます。
38日目(8/9)モザンビーク国保健省表敬訪問、最終オリエンテーション
午前中はモザンビーク国の外務省表敬訪問を予定していましたが、アフリカあるあるで中止。午後にモザンビーク国保健省の表敬訪問を行いました。他の隊員も教育省や農林水産省など自身の職種に関連のある省庁を訪問していました。その後、健康管理員や調整員の方々より赴任前日ということで有難いお言葉や激励のお言葉を頂き最後のオリエンテーションを終了しました。
首都最終日は外出せず、みんなで日本食を作って最後の晩餐を行いました。1ヶ月の共同生活も終え、ついに1人での生活が始まります。期待より不安が大きいかもしれません。それでも、この2年を走り切るんだという想いは忘れずに活動を続けていきたいと思います。Boa noite.
39日目(8/10)任地赴任(マプト⇒ケリマネ)
さて、早い隊員では朝の4時45分には寮を去りましたが、最終組のもとまさはイニャンバネ派遣の農業土木隊員と9時30分頃寮を出ました。空港でチェックインをした後なぜか警察に呼び止められました。「荷物について質問があります。カウンター裏に預入荷物が置いてあるので後ろまで来てください。」一瞬嫌な予感がしましたが、拒否権はないようです。詳細は後日記載しますが、要約すると教科書通りの「賄賂要求」でした。埒が明かないことを察したため、JICAと手を結んでいる現地の警察官(多分モザンビーク国TOP3ぐらいのお偉いさん)に電話をして助けてもらいました。「ごま油持ち込み禁止」とか初めて聞いたわ(笑)
現地に着いてからもちろんお迎え無し。しかも赴任先の家が完成していないと朝から電話をもらい自分でホテルを確保せねばならないという始末。「アフリカ」タイムを満喫しています。結局、調整員の方に伺っていたホテルは満室でかなりお高い6000MT/日(9600円/日)もする破格のホテルしか選択肢がありませんでした。しかもJICAの補填上限も突破しているため無駄に自己負担も発生するという。。。ただ、プール付きの先進国顔負けのリゾートホテルに泊まれたのでよしとします。明後日からまた違うホテルを探さねばなりません。赴任後最初の課題は自身で宿を確保することのようです。夜は先輩隊員2名に歓迎会をしていただき、ケリマネ最初の夜を終えました。
40日目(8/11)ケリマネ市内観光
さて、ケリマネに来たものの実際にケリマネ医療従事者養成学校での活動は来週の月曜日からということで一人市内観光ツアーを開催。シャモサと言われるモザンビーク伝統の揚げ物を食べたり、スーパー巡りをして醤油を発見しテンションが上がったり、早めの夕食ではmão de vacaという牛の手を煮込んだスープにチャレンジしたりしていました。
市内観光を終え、ホテルに入ろうと近づくと1人の少年が立っていました。服はボロボロ。靴は無く、体も汚れているのが一目でわかります。そして、高級ホテルの前にあるゴミ箱からゴミを拾って、食べれそうなものを選んで、袋に集めている少年を見ました。一瞬何が起きているのか思考が停止。貧富の差があることは言葉で、映像で、知識としてはありましたが、実際に、目の前の壁1枚を隔ててこれほどわかりやすく貧富の差があるのかと思うと、虚無感に苛まれずにはいられませんでした。
そして結果から言うと、その場で何もしませんでした。
もっとわかりやすく言うと…
「見て見ぬふり」をしました。
もとまさは途上国で何かしらに貢献できればという想いでモザンビークへ来ました。にも関らず何もせず、目の前の少年を直視できませんでした。無視しました。
もちろん、思うことはあります。「助けてあげたい。お金をあげたい。」「お金をあげてもその場しのぎで根本的な解決に至らない。」「日本にいるだけでなく、一歩を踏み出したんだ。」「途上国の医療体制を整えるために薬剤師として派遣されている。」「これから、この国の人に為に働こう。」
色んなことを感じ、思い、やろうとしています。
でも、目の前の少年にとってはただの「幾分のお金もくれない搾取する側の人間」であり、「腹の足しにも、クソの役にも立たない何か」としか認識していないと思います。
これから、毎日こんな想いをすると思います。そしてきっとそのうち、何も感じなくなると思います。人間はとても順応性がある生き物だと思うから。だから、そうなる前に行動に移します。この感情に慣れてしまえば楽かもしれないけど、それだけは失ってはいけない何かだって思う。1円でも、お米一粒でも、クソの役に立つぐらいにでもいいからまずは一歩行動を起こします。少しでも早く。少しでも多く。少しでもあの少年の役に立つように。そんなことを真剣に考えた1日でした。
41日目(8/12)休日
昨日までのリゾート気分のホテルが今日からは満室ということ。土日に働くなんて考えられないモザンビークではもちろん家が完成している筈もなく他のホテルへ移動せざるを得ない状況に。昨日との落差がかなり激しいですが、モザンビークにしてはまずまずのホテルへ移動。ホテル生活が続くため、自分で食事を作ることができないのが辛い。モザンビークのレストランはほぼ同じものしか置いていないため飽きが…ポテトフライがご飯代わりに出たりするのでかなり胃にはスパルタの状況です。とは言え食べれるだけ幸せ!屋根も、ベッドも、シャワーもある。とりあえず蚊に噛まれ過ぎて痒いですが頑張って寝ます。Bom fin de semana!
今週のまとめ
さて、ついにモザンビークでの語学訓練も終了し無事ケリマネ入りすることができました。家はまだありませんが、これからケリマネ医療従事者養成学校の講師として活動が始まろうとしています。そして、ホテルの前で見た少年のような人の1つでも役に立てるように他の時間を使っていきたいと思います。来週から本格始動!頑張ろう!!