モザンビーク9週目(8/27~9/2)


56日目(8/27) 休日

本日も先輩隊員宅でゆっくりとさせていただきました。早く外に出てケリマネというものをもっと知りたいと思う傍ら、自身の環境がなかなか整わずもどかしい日々を過ごしています。「2年あるから焦るな」と周りに言われますし、自分自身にも言い聞かせていますがなかなか心が落ち着かない日々です。モザンビークに来て早2ヶ月が経とうとしているのにな~…。

 

57日目(8/28) 引越し完了!

本日も朝6時20分には出勤。その後自由時間を利用して学生の顔と名前を覚えるためにオリジナルクラス表を作っていました。JICAからは「気を付けなさい!」と言われているトラック型シャパ(バス)で立って帰るという初体験も完了。要はトラックの荷台に立って乗るというヤツです。軽く20人ぐらいは乗ります。確かに、落ちたら重症は間逃れそうにありません。しかし、それ以外に交通手段がなく、車やバイクの運転は禁止されており、自転車を真夏に運転すれば熱中症になる可能性大…八方塞がりとはこのことかと実感中です。

(↓荷台からの景色。音がうるさいので注意↓)

夕方嬉しいお知らせが届きました!「工事が終わったので引越しできる」とドトール・オノフリより電話がありました!!喜んで行ったところ工事自体は作業中でしたが、最低条件の鉄柵がほぼ完了しており8泊9日お世話になった先輩宅を後にすることができました。もちろん部屋には多数の蚊とゴキブリが先客として居ましたがこれから場所を譲ってもらおうと思います。しかし、何が気に入らないかって3週間も待たせたドトール・オノフリ!やっと引越しができると思って移動している最中に寄り道開始。服屋へ行ったかと思えば30分も洋服選び。その後新居の傷や電気・水道などを確認して調整員へ連絡しないといけないのですがその頃には「忙しいから帰る」と言い出す始末…。自由気ままというか無責任というか…2年経ったとしてもこれには慣れたくないなと思う今日この頃です。

58日目(8/29) 学校自主休講、引越し作業

朝の9時頃から工事開始ということで自宅待機。 ……していたのですが、結局「15時に行くから出勤してもいいよ」と工事会社から連絡がありました。だが時すでに遅し!「当の昔に学校行のバスは終わってるよ!!」ということで引越し後の汚い家の掃除や整理をしていました。夕方からは同僚に協力してもらい、布団シーツやフライパン、水等々買い出しなどを行って本日の営業終了。毎日外食なのでそろそろ自炊をさせてほしい。

 

59日目(8/30)

朝の9時頃から工事開始ということで自宅待機。 ……していたのですが、結局「16時に行くから出勤してもいいよ」と工事会社から連絡がありました。だが時すでに遅し!「当の昔に学校行のバスは終わってるよ!!」ということで皆さんにもデジャブを体験していただきました。「確実に来るよね?!」と昨日確認もしていたのですが無駄だったようです。豆腐になんとやら。暖簾になんとやら。

夕飯も昨日と同じ店の同じメニュー。新発見のチキンサラダはモザンビークに来て1番のヒット!(日本食に似てるだけ(笑))同じ店、同じメニュー、同じ店員、同じ席…ここでもデジャブかと思いきや違いました!2日連続同じ店の同じメニューを食べにくるアジア人ということでウェイターの女性が顔を覚えていてくれたようでスペシャルバージョンのチキンサラダを用意してくれました!昨日のチップ5MTが良かったのかな?とか邪推する辺りがピュアじゃないんだなと思います。日本と同様にモザンビークにも行きつけの居酒屋を作って交流してこようと思います。

(左:8/29 右:8/30スペシャルバージョン(笑))

60日目(8/31)

本日は8月28日ぶりの出勤!(朝の工事は断って夕方にしてもらった)授業見学以外は自由時間がほとんどのため食堂のおばちゃん、おっちゃん軍団に(無理矢理)混じって会話していました!毎日炭を使ってとてつもなくでかい鍋で料理をしているのですが、近づいてわかったことが一つ。「熱い!!!」にも関らず普通の顔をして仕事をしているので凄いなぁ…と感心。日本の料理人でも油の温度を測るために指を入れたりしていますが、体が慣れてくるんでしょうね。人間の体ってすごいです。僕も2年後にはそうなれているでしょうか。(笑)

 

61 日目(9/1)

本日も早朝6時半出勤。化学の授業見学をさせていただきました。酸塩基反応の内容でした。mol計算について教えているのですが、途中から雲行きが怪しくなっていきます。先生とは言え、日本のような教授ではありません。Logや10-14の説明が途中から間違っていきます。小声で教授に「ここ少し違いませんか?」と尋ねます。が、結局そのまま授業が終わってしまいました。

授業後、休み時間にシェフ(委員長のような生徒)を掴まえて個人的に説明。内容を共有するように指示した後、化学の先生にも個人的に説明。なんとか理解してくれたようなので次回からは大丈夫かな? 教授とは言え、日本の教授のイメージとは異なります。博士課程どころか修士課程も必要なし。知識も十分とは言えないのが現状。人によっては中高の内容も怪しい…。尚更生徒たちの教育が今後重要になってくるなと感じる日々です。

 

月曜日に作成したオリジナルクラス表。顔写真&名前をセットで席順に並べただけのクラス表ですが、名前が間違っていないか最終確認をするために休み時間中にクラス訪問。教室に入ると、困ったときに英語⇒ポルトガル語の通訳をしてくれるDelvio(デルビウ)が近くに居たので声を掛けてみました。

 

「これ作ったんだけど、名前が合ってるかチェックしてくれない?」

「はい!もちろん!」

快諾をしてくれたDelvioが早速チェックを始めます。が、それを見ていた周りの生徒が早々に集まってきました。「なにそれ?!」「見せて見せて!」「うゎ~もう作ったの?!」と小学生のような無邪気さで「僕にも見せて!」「わたしも見たい!」とやってきます。授業初日はなかなか笑ってくれなかった生徒たちですが、今は近くを通ったら手を振ってくれるし授業中に目が合ったら笑ってくれるし、少しずつ心を許してくれているのかな…?と感じています。塾講師歴6年の経験を活かして生徒に勉強の楽しさやチャレンジする大切さなど色んなことを伝えられたらいいなと思っています。

さて、先日から食堂のおばちゃん、おっちゃん軍団にお世話になっているのですが、話してみたところ中にはポルトガル語があまり話せない人がいるようなのです。公用語がポルトガル語とは言え、それは一定の教育を受けた人のみが話せる言語。ということで、シュアボ語の勉強始めました!
そして、以前お伝えした通り、言語とは使って学ぶものです。実際に使わないと日本の英語教育のような悲惨な状況になってしまいます。ということで、いきつけの居酒屋(早くもいきつけと呼ぶ図々しさw)で使ってみました。

「ノータマレラ!(ありがとう!)」

 

「…!!!!」

完全に意表を突かれたような顔をする店員(笑) 目を見開いたあと、超満面の笑み。ポルトガル語で「ありがとう」を伝えた時の3倍は笑顔だったと思います。仕事で来ているポルトガル人やブラジル人は当たり前ですがもとまさよりも流暢にポルトガル語を話します。でも、彼らも現地語は話しません。やはり、モザンビーク人にとって現地語というものは特別な存在のようで、一言、現地語を発しただけなのに一気に心を許してくれるんです。 2年間ポルトガル語の勉強だけをしようと思っていたのですが、こんな反応を見てしまったらシュアボ語をマスターするしかありません(笑) これだから言語を学ぶって素晴らしい!

 

63日目(9/2) 第4回4ヵ国語会合(ホームパーティー第2弾)

本日14時より例の日韓チームでホームパーティー第2弾がありました。今回は韓国チームの御宅にお呼ばれです。「チャプチェ」などの韓国料理や韓国のお酒「ソジュ」も御馳走していただきました。そして今回も初参加が1人!以前来ていたコン(医師)の代わりにリー(医師)が来ました!話せる言語は韓国語・英語ということで英語⇔日本語、英語⇔ポルトガル語、韓国語⇔ポルトガル語の通訳の需要が増え続けています(笑)
今回はベトナム人のマンの隣で専属通訳家のように日本語⇒英語、ポルトガル語⇒英語の通訳をしていました。他の面々もお互いに通訳をし合いながらの会話。誰かが通訳をサボると誰かが置いてきぼりになる会話(笑) 個人的には英語の良いトレーニングになっているので嬉しいんですけどねw

40本近く買っていたお酒もほとんど飲み干し、相も変わらず大盛り上がりの宴会でした。本日はただ遊んだだけの日になってしまった…。明日は何かしないと。休日なので遊んでも文句言われる筋合いは無いんですけど何となく罪悪感です(笑)

 

今週のまとめ

ケリマネに来て4週目。ようやく家を手に入れ、ポルトガル語に加えてシュアボ語の勉強を始め、生徒と打ち解けはじめ…。長い目で見れば順調に進んでるのかな?まだまだ何も貢献できていないけど、準備は進んでると信じて来週以降も何かしらアクションを起こし続けていきます!


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