2017年10月12日。モザンビークの今日は、教師の日。朝9時より、モザンビーク国、ザンベジア州、ケリマネ近郊の小中高大専の教師が集まりセレモニーが行われている。
歌から始まり、来賓紹介、ダンス、有難いお言葉、ダンス、有難いお言葉、ダンス…さすがのアフリカ。歌とダンスをこよなく愛しています。一応、「ダンスをする人」がステージ上に上がって、ダンスをするのですが、周りの観客も関係なくステージにあがり踊る。ステージの周りでももちろん踊る。子供も、大人も踊る。
文化の違いに驚きつつ、少し飽きてきたもとまさ。
会場をぐるっと一周しながら式を見守っていたけどまだ終わりそうにない。
そんなとき、式から少し外れたところで同僚が手招きしてくる。何かと思って近寄ってみると「ココナッツ飲むか?」と買ってきたココナッツを渡してくれた。厚意に甘え、美味しく飲み干した。本来であれば、中の実の部分も食べるのだが、あいにく鉈がないと割れず、諦めて捨てることに。優しい同僚が「俺が捨てて来てやるよ」と、飲み干したココナッツの実を持って歩いていく。 まさに捨てようとしたとき、座っている子供が目に入った。
服はよごれ、顔も体も汚れ、蠅が集り、足の皮膚があきらかに一部ない。今まで見た貧困の子供とは比にならないほど貧しい様相。ペットボトルを拾う別の子供たちがその子を見下しながら歩いているのがわかる。わざとらしく鼻をつまみ、「臭いな~」と言わんばかりの表情で通り過ぎていく。
同僚も、その子供に気付いた様子で、立ち止まる。
「おい。これ欲しいのか?」
もとまさが飲み干したココナッツを物欲しげに見ている子供に同僚が尋ねると、生気の感じられない表情で顔を上から下に動かした。少年ももちろん鉈など持っておらず、この硬いココナッツを食べることができないと思った矢先、歯で皮ごとココナッツの一部を引きちぎった。生きるか死ぬかがかかっている状況で「鉈がない」なんて考えるのは平和ぼけした先進国のアジア人だけらしい。
まだ、14、15歳ぐらいだろうか。よく見ると足が一部変形しているように見える。表皮のない赤白い部分に蠅が集り、サイズの合っていない服は着ているというよりは羽織っているという表現に近い。歩けばズボンが脱げ、手で持たないと衣服としての役割を果たさないようなもの。
少年のすぐ目の前では、教師たちが、教師の日を祝っている。学校に行けない子供たちの傍で、「これからの教育を変えていこう!」と叫んでいる。
もちろん、教師たちは悪くない。これから途上国を変えていくのに絶対に必要な「教育」。国の未来を任された教師たちが、教師の日を祝い、踊り、歌い、決意を固める。何もおかしなことはない。
それでも、悲しく、苦しく、涙が出そうになるこの状況はなんなのだろうか。
「見ないフリをすれば楽になるのかな…?」なんて、一瞬思ったりもしたが、絶対にこの状況は忘れられないし、忘れてはならない。そう思って、どうしようか…と悩んだ。
以前も、書いたが、「お金をあげる」「ものをあげる」というのはあまり好きではない。それは本当の支援ではないと思うから。「自分の力」で「自分の生活」をしていける力を持つ手助けをすることが必要だと思って、協力隊としてこの地までやってきた。
でも、今この場でできることがない…。何も思いつかない。薬剤師として何かを教える前に、彼は死んでしまうだろう。
だから、食べ物を買ってきてあげることにした。とっても浅はか。何の解決にもなっていない。その子がこんなに辛い状況で「生きたい」と思っているのかもわからない。ただ、貧しい子を見て、「可哀想に」と思い、何かものを与えることで自己満足したいだけなのかもしれない。抜けられない貧困の苦しい時間をいたずらに引き延ばして、より苦しめることになるかもしれない。
ただの偽善。
本当に、どうしたらいいんだろう…。って思いながら近くで売っていたバナナとピーナッツを買った。腐る前に食べきれるぐらいの量を買って、少年の傍まで戻る。持っていたビニール袋に詰め、持っていたシャツと水、少しばかりのお金も入れて鞄に隠す。
周りの大人はともかく、他の貧困で苦しんでいる子供に気付かれないようにその子に目配せをする。
「こっちに来い。ついて来い。」そう念を送るが、チラッとこっちを見てはすぐに目を逸らす。もはや、誰かに「何かを貰う」、「物乞いをする」ということすら諦めているように見える。実際、視線すらこっちに送ってこない。明らかに他の貧困の子供たちより「何も期待していない」ということが伝わってくる。
声をかけて、「これあげる」って言えれば良いのだが、周りの子供に気付かれて、その子が貰ったものを奪われるんじゃないかと心配になり、それもできない。
何度も何度も、目の前を通り、視線を送り、こっちに来いと訴える。時間をかけて、周りに怪しまれないように、何度も何度も同じことを繰り返す。
10回を越えようかという頃、明らかにしつこく、不用意に視線を送って来るアジア人の様子が、さすがにおかしいと思ったその子はこちらに視線を送って来るようになった。そして、つま先をこちらへ向ける。歩くことすら辛そうではあるが、一歩、一歩とこちらへ近づいてくる。
後ろをついてくることを確認して、近くの家の裏まで誘導する。ほんの100メートルほどの距離だが、とても、とても時間がかかった。それほどに、「歩く」ということが彼にとっては大変なのだと思う。
やっと、その子が家の裏まで来た。周りに誰も、他に人がいないことを確認して、鞄の中からビニール袋を取り出し、渡す。
その子は、「何が起こっているのかわからない」という表情をしているように見えた。それでも、手にそのビニール袋を握らせ、その場を去った。彼の手も、明らかに様子がおかしかった。虫なのか、菌なのか、何かに侵された様子。大きなできものが複数あった。
「ありがとう」って言ってほしくて渡したんじゃない。
だから、彼が何かを発する前に、その場を去った。歩きながら、涙をこらえるのに必死で、その場で声をあげて泣いてしまいたいぐらい悲しかった。何も助けてあげられない。何をしに来たのかわからない。
会場まで戻り、振り返ると、少年が座って中身を確認している様子がうかがえた。
「本当にごめんなさい。何もできないで、ごめんなさい。」
そう、何度も思いながら、涙を堪えていた。
先進国があるから途上国がある。
生徒がいるから教師でいられる。
現実があるから夢がある。
現実って皮肉だな…。
何のために生きているんだろう…。
今の僕にできることは、こんな現実があるんだと、伝えることだけ。