今回は愚痴です。ただの愚痴です。(幾分前の話ですから多少時系列が違うかもしれません)
モザンビークに来ました。青年海外協力隊の薬剤師隊員として来ました。会社を2年休んで、途上国で過酷な生活を送りながらも貧困や恵まれない境遇の人を助けようという想いで来ました。それは今も変わっていないと思います。でももう疲れました。モザンビークのために来ました。モザンビークやモザンビーク人のことで悩むならまだしも最近の悩みとストレスはJICAです。もう疲れました。
最初の1ヶ月は首都で研修を行います。派遣前訓練を修了し、任地へ行く朝急に調整員が話しかけてきます。「家がまだJICAの安全基準を満たしていないので入居できません。AホテルかBホテルに泊まってください。」(赴任当日に言う事じゃねえだろ。と思いながらも途上国なのでしょうがないか。。。と思っていました。)いざ任地へ着いてみるとAホテルもBホテルもいっぱいです。見知らぬ土地でホテルがいくつあるのか、どれぐらい危険なのか、どういう風習なのか…何もわからないけどそういうことを望んで来たんだという想いでホテルを探します。Cホテルに行ったけど満室。Dホテルは高そう…だけど寝る場所がないのは困る。ということで行ってみるとやっと部屋が空いてた!!4,500MT(8,100円)上限のところ6,000MT(10,800円)の部屋しか空いていなかった。でもしょうがないのでそこに宿泊した。JICAさんからは「4,500MTまでしか出せませんのであとは自腹で払ってください」という指示をいただいた。お役所ってこんなもんなんだろうと思った。
結局10日経っても家がJICAの安全基準を満たさないという理由でJICAから「入居開始の許可」がもらえなかった。10日を超えた場合は上限金額がさらに下がり、最初に紹介してもらったAホテルやBホテルの安い部屋でも自腹が発生することになった。JICAに相談したところ「他のボランティアの家に泊めてもらうか超過分は自腹で払ってください」という指示をもらった。結構冷たいんだな。って思った。ホテル生活が続きすぎて自炊もできない。毎食外食。そのうえ自腹でホテル代を払えって。別に好き好んでホテル泊しているわけではない。とっとと入居したいのにJICAの安全基準を満たしていないという理由でJICAが許可をしないから入れないだけ。もちろんJICAとしては安全基準を満たしていない場所に隊員を預けて何かがあったら責任問題になるのでそこだけは必死に避けたかったのだろう。お役所なんてそんなもん。唯一の救いは任地にやさしい先輩がいたこと。結局その後10日ほど先輩の家でお世話になった。食事を作ってもらい、寝床を貸してもらい、洗濯物をさせてもらい…。本当に助かった。
やっと新居での生活が始まった。始まったけど家の中には何も家具がない。約35,000MT(63,000円)というモザンビークの物価を考えれば超高額を払っているのに家の中にはプラスチックの机と椅子、そして冷蔵庫、ベッドしかない。ベッドもマットレスと枠組みだけで他には何もない。日本の家より高いじゃねえかと思いながらもここはJICAが払うのでまあいい。お金の話はまあいいのだが水が出ない。いや、正確には出たり出なかったりする。「途上国なんだから当たり前でしょ」って思うかもしれないけどちょっと違う。同じ建物に住んでいるモザンビーク人の家では水が出るのにもとまさの住んでいる家だけ水が出ないのである。途上国では頻繁に停電がある。1日に5-6回あっても不思議ではない。ただ、停電復旧後普通に電気も水も使えるはずなのに我が家はなぜかいちいち修理担当を呼ばなければ水道が使えないという悲劇。停電→修理担当を呼ぶ→オーナーが「今日呼ぶ」「今呼ぶ」と言いながら結局呼ばない→1週間水が使えない→先輩宅へ泊めてもらうという繰り返し。しかもそのたびにオーナーや修理担当と家で待ち合わせ。約束の時間を守るモザンビーク人なんていないんじゃないかと思うほど毎回遅れる。本来活動をしなければならないのに結局ずっと家のトラブルで何もできないでいる。もう本当に1週間連続で水がある週なんてあっただろうか?と思うぐらいずっと悩まされていた。近くに井戸でもあればいいけど市内に住んだので井戸もない。学校の事務長に相談しても助けてくれない。どうしようもなくてJICAに連絡をしたら「契約者は学校ですし、配属先にまず相談してください。」とテンプレートが返ってきた。「相談しました」って伝えたら「ではこちらからも電話してみます。」とのこと。JICAが連絡したらいい。でも結局何も変わらず誰も助けてくれない。JICAが言っても助けてくれないのにどうしてもとまさが言えば助けてもらえると思ったんだろうか。
そんなことが続いた。毎回毎回先輩の家にお邪魔しに行くのも心苦しい。本当にいい先輩だったので「いつでも来ていいからね。」「今日は何食べたい?」って嫌な顔一つせずに助けてくれた。日本とモザンビークを行ったり来たりしている「専門家」という人がいる。いつも助けてくれる先輩がその専門家にもとまさが家で悩んでいるということを話してくれた。その結果モザンビーク人の知り合いやつてを辿って今の家より安く、いい家を紹介してくれた。活動で悩むならまだしもこれ以上家のことで悩むのは嫌だと思ってJICAに引っ越したい旨を伝えた。JICAには散々「水が出ないし、学校やオーナーに言っても助けてくれないし、活動にも支障がある」と前々から伝えていた。その結果JICAからの回答は「自分で家を見つけるのであればいいですよ。JICAの安全基準を満たしており、万が一追加が必要でも少額で済むものでお願いします。」ということだった。相変わらず助ける気は感じられなかったがこれでやっと引っ越しができると思っていた…。
前のオーナーと契約を解除するには1ヶ月前に申請することが必要だった。オーナーと交わした契約書に則り退去希望を告げ、引っ越し後すぐに新しい家に移れるよう前金も払った。もちろんJICAが払ってくれるわけではないので自腹で。その結果退去すると告げたオーナーが契約違反だと騒ぎだした。損害賠償を請求すると騒ぎだした。学校やJICAに何度も何度も相談をして契約解除をしようとしたのに学校側は地域住民と揉めるのが嫌だということで積極的に助けてくれようとしない。でもJICAからは「学校と協力して対応してください」と言う。もはや活動云々ではない。これが赴任4-5か月目ぐらいの話。因みにJICA側があれだけこだわっていた「安全基準」についてだが「現在も基準を満たしていない」ということが明らかになった。鍵や鉄の棒、電気などの設置が必要とのことだ。1月に首都で隊員総会があるということで1月にマプトへあがった。「家の件はどうですか?」って聞いてくる。今まであったことを話す。「では総会後一度私ももとまささんの任地へ行って学校とオーナーとJICAともとまささんで4者面談をしましょう」と言ってくれた。もとまさが先に家に帰り、しばらくして調整員がやってきた。ただ、時間が経ちすぎて以前払った5,000MT(9,000円)の前払金はなくなった。その間にも何度か停電があり、水が1週間程度でない(もちろん2-3日は頻繁)ことも何度かあった。1-2月はアフリカの夏。40度を超え、体感温度はもはや50度近くに達する。そんなところで水なしで生きていくとか地獄。シャワーも入れず活動先にすらいけない。1-2日目はまだごまかしながらいける。3日目になると自分でもわかるぐらい異臭を発する。溜めている水で体を拭いたり流したりするが料理をしたり掃除、洗濯をするほどの水はない。ましてや1週間もすればトイレを流すこともできず糞尿が溜まりだす。酷暑に糞尿があるとかもはや衛生状況は最悪。そんなストレスを抱えながら半年以上生活をした。
そしてついに調整員がやってきた。やってきた調整員の一言目は「うわ~、この家暑いですねー。よくこんなところに住んでますね~。」だった。散々助けを求めて、相談をしていたのによくこんな言葉が出てくるなって耳を疑った。頭がおかしいとさえ思った。少なくとも普通の企業にこんなやつが働いてたらもう仕事を失ってるだろと思った。もはや怒りを通り越して怒る気にもならなかった。翌日学校で4者面談をすることになった。オーナーは「契約を継続して今後も家賃収入がほしい」、学校側は「地域住民と揉めたくない。」、JICA側は「裁判沙汰にしたくないのでこのまま穏便に済ませたい。」。結局、引っ越しを希望しているのはもとまさだけで他の人はもとまさにどうにか契約を継続してもらいなんとか難を逃れようとしているだけだった。これ以上言っても無駄だと思い、「わかりました。ただ、今後同じことがあったら1か月前に出たいと言ったら出れるように誓約書を書いてください。」と告げた。すると「いや、今度は大丈夫だよ。今みんなで話し合ったんだし。」とオーナー、学校側が言い出す。どうせモザンビーク人はこの話合いを反故にするし、文書がないとダメだと思いJICAの人に「誓約書をお願いします。」と食い下がる。にもかかわらず、「この人たちも大丈夫だって言ってるんだから大丈夫だよ。」とか平和ボケしたことを抜かす。結局誓約書も得られず、引っ越しもできずただただ1年の契約が切れるまではしばらくそこに住むことになった。一応の成果としてはこれまで以上にきちんとサポートするようにJICA側から学校やオーナーに要請してくれたことだけ。その後夕ご飯をもとまさ、先輩隊員、調整員たちで食べることになった。本当は行きたくなかったが我慢して一緒に行くことにした。市内は対して広くないはずなのにその調整員はタクシーでやってきた。(夕食はすでにあなたの業務外でしょ。なんで公費使ってんの?)と思いながらも黙っていた。お酒が入ると失言するタイプの調整員。「いや~、ほんとはもとまささんのこと助けたいんですけどね~。」とか軽口を叩く。その後も「もとまささんはJICAに対して色々意見をするので私もわざわざ来ていますが他の人はもっとひどい状況で頑張っているんですよ。」「もとまささんの態度がそんなんだから学校もJICAも助けようと思わないんですよ。」と。もうこの人いやだ。一緒にいるとこっちまでおかしくなりそう。とういことで「そうですか。もうあなたに相談することはありません。」とブチギレて終了。最悪の気分でした。
その後、この調整員の上司へ「相談ではありませんが一応報告しておきます。以前調整員が来られた際に本人に伝えていますが「あなたに相談することはありません」と伝えました。「よくこんなところに住んでますね。」「色々意見を言うのでわざわざ来ていますが…」「そんな態度だから学校もJICAも助けようと思わないんですよ。」とパワハラだかモラハラするような暴言を吐く人は信用できません。この人は私の中で過去の人です。それだけ伝えておきます。」と連絡。この上司はJICAで唯一に近いぐらい数少ない常識の感覚を持っている人。結局その後、担当調整員が変わることになりました。
これで話が終われば良かったのですが続いてやってきた調整員もポンコツ。話が長い。自分が何の話をしているかわからなくなる。一言多い。そして無駄にちょっと自信家という決して頼りにならない存在。関らなければ良かっただけの話なのですが、地域代表としてJICA側と話合いをしなければならず、この調整員が毎回やってくる。こちらの話の腰を折っては意味不明な長話が続いて最後は「もっとちゃんとしてくださいね。」みたいな感じ。仕事ができると思っている分やっかい。しかもこの調整員が調整員の中で一番偉いらしい。JICAも終わってんなぁって思う。まぁ正社員は経歴も華やかで頭の回転も速いためこんなことにはならんのでしょうけど。こんなのに当たった隊員は悲惨。モザンビークのストレスに加えて事務所もストレスになるんだから。隊員のほとんどが愛想を尽かせていたんだけども、相変わらず一言多い。「資料作りは前回と同じでいいやではなくきちんと考えて作ってくださいね。社会人になる前の協力隊の2年間で、日々の業務をいろいろ工夫することも学んでいただけると幸いです。」みたいなことをいちいち言ってくるわけですよ。こちとら日本で管理者やってたわ!と。どれほど華々しい仕事をされてきたのか拝聴したいですわ。まぁ、もうそろそろ書き疲れたのでこの人の話は割愛気味でいきますが、まぁこの後も家で断水が前ほどではないですが続くわけですよ。JICAから「きちんとサポートするように」と言われた甲斐もあり最初の2-3か月は断水したらすぐに対応してくれていたのですが、その後は逆戻り。どんどん前のように適当になっていったんです。断水が長引いたら先輩隊員に助けてもらうのは赴任してからずっと一緒。本当に迷惑かけまくったなーって。でも、そんな先輩ももうすぐ日本に帰国してしまうという自体に…!赴任して1年と数か月が経った頃、例の調整員と代表者の件で連絡を取っていました。モザンビークとは全く関係のない日本人の隊員と日本の組織のJICAとのやり取り。JICA側はいつも「早く資料を提出してください。」「期限は1ヶ月までですがなるべく早くしてください。」「言われたことはすぐするように」みたいなことを言うくせに待てど暮らせどJICAから送られてくるはずの資料が届かない。詳細は割愛しますが、この資料がなければ隊員総会でするプログラムも、規約の改定もできない…という書類。催促の連絡をしたところ隊員が作った資料を改変したものが送られてきただけ。(あれだけ社会人がどうのこうのとか、業務の工夫とか、早くしろとか色々言っててよくそんな舐めた仕事ができるな。)って怒り心頭。
『「社会人になる前の協力隊の2年間で、日々の業務をいろいろ工夫することも学んでいただけると幸いです。」事務所側も宜しくお願いします。』と送った結果、その調整員からは『「自分が思ったようにいかない事があること」を途上国生活で学んでいただけたらと思います。至らない点があることは反省し、改善しますが、お互いに気持ちのいいコミュニケーションを心がけましょう。』って…(お前が言うなーーーーー!!!!怒) こいつ自分が言った事忘れてるんだろうなー。すでにお前から「気持ちのいいコミュニケーション」を壊してるってわかってないんだろうなー。って不憫にすら思います。し・か・も。この仕事はモザンビークに関係なく「日本人」と「日本人」の間で行われていることなんですよね。なんでそこで「途上国」っていうワードが出てくるのかわからない。相変わらず論理的な思考ができないらしい。
「家の件も含め、途上国生活が自分自身の思い通りにならないことは存じております。ただ、モザンビーク化した事務所を受け入れられないだけです。」と返信した結果、今度はその調整員の上司から連絡がきました。「これまで事務所スタッフとの連絡において、もとまささんの書き方や言い方については小職なりに問題意識を持っていました。今回のメールの表現ぶりはさすがに目の余るものがあります。我々事務所にせよ、配属先のカウンターパートにせよ、協力することは良好な関係を築くことが肝要ではないでしょうか。いずれにしても、今回は少し表現が行き過ぎたのではないかと考えましたので返信させていただきます。」と。
今まで家の件で散々揉めてた時は出てこないくせに今かよ。(笑) カウンターパートとは1回も揉めずにいい関係築いてるし、JICAってやっぱり隊員のこと何も把握してないんだなーって思いました。多分一番大切な仕事は「何も問題を起こさない事。」なんでしょうね。ていうか、隊員の言葉遣いなんか気にしてないでお宅の部下がきちんと仕事してないことをまずどうにかしろよ。と思うわけです。
「私の表現により気を害したようであれば失礼しました。未熟者の、個人的な意見としては信頼関係を築くためにはまず、「信頼される仕事をする」「率先垂範する」「脈絡通徹する」ことがより大事ではないだろうかと考えております。規約に関して言えば…(中略)…協力するためには信頼関係という土台がより重要であると考えます。土台無くして協力はありません。差し出がましいとは存じておりますが、私が次長という立場であれば隊員の言葉遣いよりも事務所内のこのような根本的な問題をより問題視するだろうと想像に難くありません。未熟者の意見ですので、皆様のお考えに至らないことも多々あるかと存じます。言葉遣いもそうですが、特に「内容」で間違っていることがあればご指摘いただけると幸いです。社会復帰する前に色々と学ばせていただければと思います。」
と返信しておきました。言葉遣いやら表現について意気揚々と非難してくるくせに肝心の「内容」についてはだんまり。言い返せないからって論点をずらして難癖付けてくるとかほんと勘弁。これが一回りも二回りも上の人かと思うとそうはなりたくないなって心の底から思う。んでまぁ、こんな感じでJICA事務所との関係は最悪。話したくもないし、顔も見たくない状態になったわけです。まぁ、(いやいや、おかしいだろ!)って思うと黙ってられない性格のもとまさが子供だって部分もあるのでしょうが、こんな奴らが血税使ってどや顔で給料もらってんのかと思うと怒りの感情が湧いてくるわけですよ。それはそうと、こんな事件があってから1ヶ月もするとあの先輩が任地からいなくなってしまうという死活問題。幸い先輩隊員が最後だということでポンコツ調整員と新しい健康管理員が学校にやってくるということに。学校やオーナーがまた助けてくれないのでJICA側から一言注意してもらおうと思っていました。まぁこの調整員はポルトガル語が話せないので役に立たないのですが連れてきたモザンビーク人職員が頑張ってくれます。さらに先輩隊員が今も断水していることをこの新しい健康管理員に話してくれていたようで、「なんでそんな家に住んでるの?!」「引っ越しできないの?」と。「引っ越しはしたいけどJICAに言っても…」みたいな感じで話す。するとすぐに「それは引っ越しできるようにしてもらおう!」ということですぐさまこのモザンビーク人職員に対して指示が飛びます。最終的に「引っ越ししましょう。」という流れにしてくれたのでモザンビーク職員と健康管理員には感謝!(まぁ、まだまだ続くんですけどねw)
さて、学校見学をしたいということで学校内を案内します。いつも仲良くしてくれている掃除のおばちゃんたちが日本語で「こんにちは。」「お元気ですか?」って嬉しそうに質問をします。いつも一緒に勉強している日本語を披露するチャンスですからね。調整員や健康管理員が日本語で返答すると嬉しそうに去っていきました。続いて生徒たちのいる教室へ近づくと調整員が「生徒たちには日本語を教えているのか?」って聞いてきます。「いいえ」って答えると「せっかく日本人がいるんだから教えないと~」みたいなダメ出しをしてくる。(お前はまず自分がポルトガル語を話せないことを自覚してから発言しろ。ボランティアじゃなくて仕事で税金使ってきてるんだよ!人のこと言う前にポルトガルで話せるようになれ!)と言う想いはぐっと心の中に閉じ込めます。いちいち突っ込んでたらきりがないですからこの人は。その後、なんとか学校側が「1か月後に出ますよ」という文書をオーナーに渡して終わり。
…になるのかと思ったのですがまたゴネだすオーナー。だからあのとき「誓約書」が欲しかったんだよ!と思うもとまさ。もうホント疲れた…何度も何度も無駄なやり取りを学校やオーナー、JICAとして毎日ストレス。活動で悩むとか、モザンビークをどうやったらよくできるだろうみたいな悩みじゃなくてもっとそれ以前の話。結局1月の隊員総会に行く直前にオーナーが「まずは学校の人と話したい。それまでは鍵も受け取らない」みたいな感じ。明日には首都のマプトに行って当分帰ってこないのに…と思いましたがやむを得ないので前の家の鍵を新しい家に置いておきます。
2018年12月の時点で新しいオーナーと契約を済ませ、先輩隊員がもともと住んでいた家に後釜として引っ越すことができました。ですので、最後に部屋の確認をしてオーナーに鍵を渡したら終わりのはずだったんです。ですが、色々とゴネはじめる。もはや1日、2日でどうにかなる問題じゃないと思い、一応JICAにはメールで連絡だけして鍵を新居に残してマプトに向かったのでした。するとJICAからは「なんで鍵をオーナーに返さなかった?もしくは学校の人に渡すとかできただろ!」みたいな感じで責められます。毎月15日が家賃を支払う日なのですが、それを跨いだらまた1ヶ月分支払わなくてはならない。ただ、JICAとしては新居に払うので前のオーナーから請求されてもお金は払えないということです。
そりゃあ、一瞬そういうこともよぎったのですがまず1-2日前に連絡しても「なんでもっと早く連絡してこなかった!?」みたいなことを言われただろうし、1-2日で解決できるとも思えないし、そもそもJICA側と連絡することすら嫌だしということでメールで済ませたのでした。大体、「校長に電話を入れ、退去通告のことを確認したところ、大家に渡したと返答があったそうです。よって、転居にかかる住居契約準備に入ります。」みたいな連絡がJICAからあったら最後に鍵の受け取りを拒否されると思わないでしょうが。前まではもとまさが頑張ってJICAやオーナー、学校の間に入って色々やっていたのですがどうせボランティアのことなんか聞かないしということで今回はJICA事務所に任せてたんですよね。変なことに巻き込まれても嫌なので。で、任せてた結果最後にごねられて、百歩譲って任地を出る前に鍵を誰かに預けなかった非があるとは言え、すべてもとまさが悪いとは思わないんですよね。で、首都に上がってからJICA事務所に呼び出され話合い。調整員と次長と所長。もう顔も見たくない。同じ空間にもいたくない。「なんで電話してくれなかったんですか?してくれればこちらとしてもどうかできたのに。」「今後家賃を請求してくる可能性もありますが、すでにJICAは新しい家に支払いをしていますので前の家には払えません。もとまささんに払っていただくことになります。それでいいですね。?」と。
ごねても面倒なだけだし、こんな奴らに頭下げるぐらいなら金をどぶにでも捨てたほうがましだと思い、「そうですね。払います。」と言って終えました。その後、任地に帰ってJICAの指示通り鍵を学校長へ渡そうとしたのですが拒否されました。 JICA全然ダメじゃん。(笑)てか、1-2日で電話口で解決する能力があったら、赴任後1年6ヶ月の時点で家の件で揉めてねえだろって思うわけですよ。で、その後JICA事務所も電話だけで解決することができずモザンビーク人の職員が再度任地にやってきて話合い。結局家中の壁を塗り替えることを要求されたり…色々して1年8ヶ月と2週間が経った今日、やっと鍵を返却できたのでした。JICAさん。1-2日どころか1-2ヶ月かかってんじゃん(笑)
で、先ほど調整員から「マプトでの話し合いのときに家賃代を払ってもらう話ししましたよね。1ヶ月分大家に払っておくようにお願いします。いいですか?」って電話がありました。(なんか。もう。疲れた。金払えばいいんでしょ。お役所って仕事できなくても言われたことさえやってたら血税から給料払われるからいいよね。)って思いながら「いいですか?って他に選択肢あるんですか?払っておきます。」って言って終えました。
うん。ほんと疲れた。僕の怒りの10分の1も伝わってないと思うし、イライラする出来事はこれじゃ収まらないぐらいまだまだあるんだけど…もういいや。ほんと、事務所にイライラするのは変わらないんだけど、もう活動のモチベーションもないや。疲れた。なんか、普通の感覚が伝わらな過ぎて嫌だ。青年海外協力隊って日本でできない貴重な経験ができて、今後のキャリアアップだったり、人生を豊かにしたり、日本のいいところを再発見したり、語学が学べたり、人脈が作れたり、国際協力への一歩を踏み出せたり、度胸がついたり、家事能力がついたり、世界中に友達が作れたり…すげぇいいことがいっぱいあるんだけど、これに関してはホント疲れた。JICA職員とすごい仲良い他の国の隊員の話とか聞くとすごいう羨ましくなる。他の国の同期とそんな話もするから。でも、逆に一番のストレスがJICA事務所だよねって話している人も結構いる。これはその担当する人だったり国によって違うらしい。どっかの国がずっと悪いとかでもない。だって2-3年すればどんどんメンバーが変わっていくから。隊員も職員も。なのでタイミング次第。今のタイミングが悪くて、偶然その場に居合わせてしまっただけ。だからこれを見て、協力隊をやめる必要はないけど、こういう経験をする可能性もあるっていうだけ。もう、ほんと疲れた。ストレスがやばい。国際協力の場には結構やべぇ奴がいるって聞いてたけど、いたわ。
ここに来たことにはまったく後悔していません。でも、ちょっと運が悪かったなって思うだけです。そして、最後の方はさっきの出来事だったのでちょっとまだイライラしているだけです(笑)でも、書き終えてちょっとすっきり。あと3ヶ月半ですか。静か~に、目立たないようにしながら過ごしたいと思います。2年中1年8ヶ月家のことで揉めた隊員とかいないんだろうな~。虚無感w
すいません。最後までお見苦しいところを。でも、ちょっと。うん。まぁ。僕のブログなので。好きにさせてもらいました。明日から気持ちを切り替えて頑張ろう!6-7万円ならスロットですられたと思えばいいや(笑)では、またね!